2014年5月9日金曜日

ノート no.43

皆様、ご無沙汰を越えてご無沙汰をしております。

いきなり日本語が心配なのは、久々に私にとっては長文を書こうとして力が入ってるんでしょうか。心は波風なくぼっーとして、我ながらもうちょっと力んでもと思うのですが・・・

更新するのは体感的には二年ぶりくらいなのですが、先日森一門祝賀会にお越しくださった方々より「一年くらい」と聞いて、自分が思うよりは良かったと得をした気分になりました。五十歩百歩だとは思いますが。

…ふと意味もないことを考えますと、当事者にとっては五十歩と百歩では倍違うのだから、「大してして違わない」という一般的な意味と、当事者から見た五十歩百歩はえらい意味が違うなと思います。
善と悪、平等と不平等・・・などと並べてみても、なかなか皆自分と他人では同じ認識にはならないような感じですね。
似たような認識を持つために、頭のいい人が共通の記号を作ったのでしょうか。
共通認識で秩序ができて恩恵が一番あるのは支配者なのかな? 最初は生きる確率をあげるためだろうから、支配者はずいぶんと先か。支配者ができたから共通認識が言語まで発展したのか言語ができたからか…となるとその辺りから発生したものがたまたま皆に好評で広まった??
となると支配者ってのは現代の私の語感と違って皆に利益を与える存在となりますね。
支配者には感謝しよ。とんちんかん?当たり前?

的はずれでも的がなくてもどうでもいいのですが、読んだ皆様はお気の毒・・・今更何をって感じでしょうか。

さて、この流れで明日の試合勝ちが欲しいなと言ってもあまり信用されなさそうですね。日本語しか読めないのに日本語が使えてないとは。サボって学んでこなかったので自業自得ですね。

…電池が二回切れて間があくと何て思ってたかわからないので今日はここで。

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突然ですが、
ゴールデンウイークの大変な中、森一門の祝賀会に来てくださりありがとうございました。…最初あたりからどこで言えばいいのか窺がっていたのですが、我ながらこのタイミングはダメなのはわかります。
「ありがとうとごめんなさいは、言い訳なしに最初に言いなさい」って教えてもらったのですが、なかなかできないものですね。

さて優勢プラス時間の大差のハンデを二局ももらって、弱さを見切られてるのとそれにあっさりと応えてしまった後は何を書けばいいのか…、観戦いただいた皆様ありがとうございました。最後もっとぎりぎりにできなかったのが申し訳なくもあり実力ですが情けなくもあります。
負けると「まだ弱い」と実感しただけになってしまって、怖くて読めない前日の意味不明な文と同様、書くことに窮して当たり前の事実を淡々と感情もなく書いております。
感情も無いのが恐れるという感情なのかな・・・他人事のように弱いなと思うと、もう指せない切なさが…もう指せないのだから意味はない感情としてごみ箱に捨てましょう。

次皆様に見ていただける試合はいつなんでしょうか。そういう機会をたくさん作れるようになりたいですね。
では皆様お元気で。